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INFJ:サブタイプ

INFJ-Ni:ビジョナリー ここで内向的直観は、単一で包括的なビジョンを信じて、全力を傾ける性格を生み出す。探求こそがあなたの目的であり、このビジョンの実現に人生の殆どを捧げることになる。 限界まで自分を駆り立てると、個人的な健康と幸福が損なわれる可能性がある。時には不健全な程に、ビジョンに執着するかもしれない。しかし、それはINFJ-Niを大きな成功と成果に導くこともある。 INFJ-Fe:チャーマー INFJ-Feは、自らのビジョンや情熱を傾けるプロジェクトについて話すことを好む。人々を惹きつけ、コミュニティに興味を持ってもらうことは重要である。自分の取り組むことに誰もが関与することを望んでいる。アイデアを研究しながら、最新の発見について共有し、話し合う。 それが世界全体を変えるように、自分のアイデアについて自信を持って話す。あなたは自分の仕事に強い情熱を注いでいるが、早口すぎる上にプロジェクトに猪突猛進することがある。常にアイデアが実際に機能するとは限らない。時には、自分がしていることの証明を得ることに熱心すぎる場合がある。 INFJ-Ti:フィロソファー ここでの内向的思考は、注意深く内省的な性格を生み出す。多くの時間を物思いに耽って過ごす。風変わりな考えやアイデアを含めて、自分が経験するすべてを合理化する必要がある。 システムはINFJ-Tiにとって重要であり、しばしば強い学問的な関心を持っている。アイデアの確証を得る必要があり、自分の考えで世界を変えたいと思っている。時に自信を喪失し、直感を深く信頼することから利益を得ることができる。 INFJ-Se:メディエイター 構造化されていて注意深い。INFJ-Seの目標は、アイデアを証明し、現実の世界でそれらをテストすることである。自分の直感を現実に根ざすべきものとして見なす。真面目でプロジェクトに集中する。他の人々が理解できる方法で、自分の考えを世界に伝えたいと思っている。 エリック・ソアは二種類のサブタイプを提唱している。1つはDISCと組み合わせたサブタイプ、もう1つは独自の規則による。以前サイトに掲載されていた概要が非公開になっているので、以下の説明は推測が混じっている。 まず、タイプのコードは2文字ずつの組み合わせで6パターンに分けられる。INFJの場合はIN, IF, IJ, NF, NJ, FJ

「タイプ」とは何か?

タイトル詐欺と言われそうだが、別に「タイプがS型とN型に分かれた起源を解き明かす!」とか「16タイプには遺伝的にこんな共通点が!」という話ではない。この記事の目的は、いつも何気なく使っている「タイプ」とは元々どういう概念なのか説明することにある。 まず簡単に定義を説明しておくと、MBTIでは「人には一生変わらない真のタイプ(リアルタイプ)がある」とされている。しかし、公式セッションで決まるのはベストフィットタイプで、リアルタイプではない。ベストフィットタイプはリアルタイプかもしれないし、違うかもしれない。つまり、リアルタイプは存在する(ことになっている)が、それを判定する方法は無いので、その時点でしっくりくるタイプをベストフィットとして確定する。なので、「子供の頃は内向的だったけど今は外向的になった。どちらが本来の指向なのか」と悩む人が出てくる。もっとも、ベストフィットは自認なので、自認が変わればタイプが変わることもあり得る。 話をややこしくする要素として、アウト・オブ・プリファレンス(OOP)というものがある。これは環境の要望に応じて、生来の指向とは逆の指向に関するファセットを用いる現象を指す。本来の指向は直観だが、感覚機能を用いる方が有益などの判断で開発した場合の、タイプ内バリエーションを表す。 まあ気になる人は公式に行くなりなんなりして決めればいいと思うが(OOPはベーシック編を受講した後のStepⅡで取り扱っている)、この「タイプは一生変わらない」という考え方は、ユングの見解と異なる。マイヤーズはタイプであることを良いこと(人それぞれの個性)としたが、ユングの考えではタイプとは発達の偏りであり、タイプであることは「未熟」な状態を意味する。そもそも、ユングは「タイプ論」に対する世間の捉え方に不満があった。 「人間をカテゴリに分類することは、心理学的類型論の目的ではありません。それ自体は酷く不毛な仕事です」 「あまりにも多くの読者が、10章(タイプの描写)がタイプ論の本質と目的であり、人間の性格を分類する実用的なガイドを提供するものと勘違いしました。この種の分類は子供っぽい室内ゲームでしかありません。私の類型論は一目で人々にラベルを貼ることを意図したものではありません。類型の用語はこの欲求を満たす以外の役には立たないので、読者にはまず2章と5章を読むことをお勧め

同一関係:SLI-SLI

この同一関係におけるコミュニケーションは、かなり不活発で、受動的である。感情倫理の側面は、両パートナーの「恐怖のゾーン」内にある。したがって、会話の中でお互いを評価して調整することは、各々の感情的な閾値をさらに引き下げる。これには相手を落胆させる効果があり、最終的に彼らの会話は、緩慢で怠惰な、味気ない意見交換のようなものに変わる。自我の側面にあるSiのため、二人のSLIは親密な関係にある場合でも、通常のコミュニケーションにおいて相当な距離があり、互いに孤立している。 パートナーはそれぞれ、秘密主義で抑制的であり、内にこもりがちである (SLIは全てのソシオタイプの中で最も引っ込み思案なタイプの1つである)。そして同時に、両者ともに内面的に非常に独立しており、精神的な不快を感じると、コミュニケーションから逃走したり、会話の相手を「置き去り」にしたり、自分の世界に入ったり、単に言い訳を使って「状況から抜け出し」たりしようとする。 このソシオタイプの代表者が団結することは稀であり、そのような結婚は概して短命である。彼らはそれぞれ、無意識のうちに熱狂的で活発、混沌とした予測不可能なIEEを志向しているため、同じパートナーにすぐに失望してしまう。直感と倫理の側面について必要な情報を受け取ることができないため、それぞれが自分と「同じ」相手に退屈を感じ始め、状況を変えて、もっと相応しい、感情的で興味深い相手を見つけたいという、抗いがたい欲求を感じる。 同一関係は、サブタイプが一致すると容易に同一化し、その逆も同様である。サブタイプの不一致は、パートナー間の不信と摩擦を悪化させる。この場合、相手が不自然に振る舞っていたり、あまりにも単純で粗野だったり、大袈裟に反応しているように見える。これによって「同一人物」間の距離が広がり、お互いを受け入れることができなくなり、疎外感は更に増大する。情報交換は最小限に抑えられるか、ほぼ完全に停止する。(この段落はロシア語の原文に存在せず、出典不明) 同じタイプの人々と交流することは、外部から自分を眺めてみることを可能にする。これは常に楽しいものとは限らず、自分の長所と短所を客観的に評価することになる-そして、これこそが同一関係において、大いに有益な意義である。 特に優れた作家の場合、自分と同じタイプの作者が書いた作品を読むことは、常に有益で興味深

LVFE

老子は、穏やかで落ち着き払った印象を与えることが多い。LVFEは他者の問題を解決するために何らかの方法を見つけようとするが、コミュニケーションが淡白なので、このタイプから同情を得るのは難しい。その内向性にもかかわらず、LVFEは他の人々に影響を与え、物事で存在感を発揮することを好む。多くの場合、老子は社会で大きな権威を有している。 LVFEは、自身を取り巻くスキャンダルや強い感情を、上手く受け流す。自分の気持ちを恥ずかしがらない、明るく表現力が豊かな人々を好む。また、自力で全てを理解することはできず、場合によっては専門家に相談する方がいいと考えるため、様々な分野の専門家と関係を確立することを好む。同時に、何らかのビジネスや専門職を志す人々を支援することに多大な努力を払い、これらの人々は将来LVFEに利益をもたらす。したがって、人生の過程で、老子は有用な繋がりによって勢力を広げる。彼らを失望させた人々には興味を失うので、容赦なく人生から排除する。 LVFEは安定した家庭習慣と食事に依存しており、誰かの嗜好を強いられると極端な反応をする。機会があれば、他の人々に寛大さを示すことを好む。それらは非常に効率的かつ活動的に行われ、人々が積極的になることを奨励する。 多くの場合、彼らは確固とした世界観を持つが、他の人々の考え方が異なる可能性を認識しており、それを誰かに強制することはない。その世界観が人の役に立ち、人生を改善するはずだと信じているので、それについて議論する必要はない。 1.ロジック(独断主義者) 1Lの特異性は独善である。この人物が賢い場合、そのような自信は、原則として、何もないところから生じるものではない。自分の意見を形成する前に、まず情報を収集してから、自論を構築する。だからこそ、その意見に異議を唱えようとすると、論争者を「愚かな人々」と見なし、どうして明白な事実を理解できないのか真剣に考えることがある。独断主義者は、関心のあるトピックについて話し、議論の過程で意見を形成するために賢い人々の意見に耳を傾けることを好み、自身の主張を証明するためだけに議論することは好きではない。自らの観点を聴衆に受け入れさせることを目的とする、冗長な議論、仮定、およびその他の修辞的手法を好まない。1Lの判断の誤りを証明することを目的とする、他者の推論にも興味がない-結局のところ、

神経科学から考える心理機能

心理機能は「思考パターン」、または情報を分解して理解する方法である。これが他のWeb サイトと多少異なる理由は、このプロジェクトが現代の神経科学に基づいているためである。このプロジェクトでは、1940~70年代の心理学を中心にユングの認知機能を構築している。Neojungian Typologyでは、これを現代の心理学で使用するには、システム全体を完全に見直す必要があると考えている。 私たちが今日、行っているほとんどの日常的な行動は、心理機能が相互作用した結果であるため、物事はかなり複雑である。物事を実現することは「外向的感覚」または「外向的思考」活動ではないが、どのように計画して実現するかに応じて、それらのレベルであなたを刺激することがある。実現の開始間近と終了間際では、様々な機能を使用することがある。しかし、ほとんどの場合、機能を共同で使用しているので、内向的直観と外向的感覚を区別することさえ難しいかもしれない。これらの機能は相反するものではなく、補完的である。人は全ての機能を備えているが、好みがある。 直感、感情、思考、感覚は、私たちが楽しみを得る活動に関するものである。では、様々な形式の符号化/知覚は何を扱うのだろうか? 連想機能:  連想の二分法は、情報をどのように取り込み、生成するかに関連している。連想機能は、情報にラベルを付けて分類し、物の見え方、配置されている場所を登録し、感覚情報 (例えば、身体感覚) も理解する。 符号化機能: 符号化の二分法は、情報の使用方法と保存方法に関連している。行動や感覚は、私たちにどのような反応を引き起こすだろうか?符号化機能は、「この情報が良いか悪いか」という情報の検証も試みる。「この情報は、私が設定したルール/基準に従っているか?それは有効か?」 ※脳には「連想」と「符号化」という働きがある。「連想」は五感から得た情報から関連した記憶を思い浮かべること、「符号化」は情報を取り込んで記憶情報として保持されるまでの憶える過程のことを指す。筆者はこれに心理機能を対応させていると思われる。 抽象的連想 (MBTIの直観): このプロセスは、知覚活動をメンタライジング・ネットワークに依存している。あなたが抽象型である場合、情報の解釈に楽しみを感じることを意味する。抽象的連想は、特定の行動を実行し、それをパターンや傾向に体系化す

EFVL

  EFVLはその感情性と表現力で注目を集める。彼らは恥ずかしがり屋ではない。EFVLは他者の意見に極めて無関心であり、自分が望むように振る舞うため、社会に暴力的な反応を引き起こす。人々は彼らを中立的に扱うのが難しいと感じる-EFVLは怒りか賞賛のいずれか(時には両方を同時に)を喚起する。表面上の感受性にもかかわらず、彼らは他者の経験にこの上なく無関心かつ冷淡である。 通常、EFVLタイプの代表者は活発で、体格が良く、スポーツやダンスに参加し、活動量が多い。外見やライフスタイルについて、他の人々に助言することを好む。同時に、彼らの意見において、身なりに構わない、または趣味の悪い服装をしている人々に対して、辛辣さと不寛容を示すことがある。一般的に、それらは深刻な性質を帯び、衝突を招く傾向がある。 特に職場でプライドを傷つけられると、非常に敏感に反応する。しかし、気分が変わりやすいため、根に持つことはなく、すぐに冷静になる。彼らの感情は鮮烈で、瞬間的に燃え上がっては消える。プーシキンは野心的な活動家であり、何らかの目標を持って動き出すと、多大な能力を発揮する。これに関して重要な役割を果たしているのは、他の人々に自らの成功を示し、何ができるかを証明したいという願望である。 これらの人々は知的活動に苦労する。頭脳労働は彼らに一定の努力を要求し、喜びをもたらさないので、誰かに求められなければ自身の結論を説明しようとはしない。知的な人物は、簡潔に自分の考えを表現しなければならないと考える。EFVLはそのような人々に惹かれ、彼らを最も相応しい人物と見なし、本能的な信頼を寄せる。彼らは議論を好まず、実践的に適用できる信頼性の高い知識を必要とする。それらを単独で受け取り、吸収することを好む。 要約すると、プーシキンは明るく、活発で、熱意ある頑固者であり、無駄話を嫌い、判断の際に自身の論理によって導かれるが、それは外部から常に明らかではない。 1.エモーション(ロマンチスト) 1Eの所有者は自身の感情に夢中になっているため、周囲を取り巻く人々の感情に気付くことができない。ロマンチストは、起こっている出来事に対する暴力的な(時には過剰でさえある)反応によって区別される。自身のどんな反応も完全に正常なものだと信じているので、ある感情の発現が適切かどうかを評価しない。何らかのアイデアに取りつ

タイプ1の性格・本能・心理機能

<タイプ1> 囚われ:怒り、つまり間違っていたり浅はかに見えるものに対して、フラストレーションや苛立ちとして頻繁に経験される、無意識の怒りを意味する。他者が認識できないように(外部から認識できることは間違いという感情に由来する)、怒りを拒絶して吞み込んだり、我慢しようとするが、批判的・受動攻撃的になる。彼らは不完全さに耐えることができず、我慢の限界を超えると気持ちが切れる恐れがある。これは、身体的または道徳的に表れることがある。自分が置かれた環境下で全てが正しく行われること、または自他が道徳的に完全であることを望んでいる。表面下のこの怒りのために、彼らは明確な厳しさと緊張感を獲得するが、ストイックに振る舞うことを本能的に選択し、強い感情表現を許さない。これに失敗すると自己批判的になる。 健全な場合、彼らは強い道徳規範を身につけ、それに従って生きているが、自分や他者が不可避な間違いに直面しても、過剰に厳格にならないことを学ぶ。タイプ7との接続は、罪悪感を感じることなく、感情を自由に表現して、人生を最大限に楽しむことを学ぶ。タイプ4との接続は、感情を抑圧することなく、そのコントロールと自由な表現を可能にする。 不健全な場合、彼らは自己/他者に対して非常に批判的になり、厳格に道徳規範を満たすことを要求する。タイプ7との接続は、理想化された架空の世界に対する認識を作り上げ、現実逃避することで、自身の過ちに対する感情に対処することを意味する。タイプ4との接続は、彼らが自身の道徳的完璧主義にどれほど及ばないか鋭敏に認識し、自己嫌悪と憂鬱を招く。 <タイプ1のサブタイプ> sp-1:「不安」 Sp1は、3つのタイプ1の中で真の完璧主義者である。彼らは懸命に働き、自身と物事を完璧にすることを通して、怒りの囚われを表現する。このサブタイプにおいて、最も抑制される感情は怒りである。反動形成の防衛メカニズムは、怒りの激しさを暖かさに変換し、友好的で慈悲深い性格を作り出す。 so-1:「非適応」 So1は(無意識に)自分自身を完全であると見なす。彼らはあるべき「正しい道」の完璧なモデルに焦点を当てることで、怒りを表現する。彼らは、優越性に対する無意識のニーズを反映した、教師的な精神を持つ。So1において、怒りは半ば隠されている。つまり、怒りの激しさが冷淡さに変わる。これはコントロールを主題